本宮二業組合とは

本宮二業組合100年の歴史

明治41年に「本宮料理店飲食業組合」として発足した当組合は、激動の時代と共に本宮の飲食、娯楽、地域振興を担ってきました。その足跡を、元本宮二業組合長、三浦正博氏の著書「風の残像」より一部抜粋してご紹介します。


明治41年(1908年)
本宮料理店飲食業組合設立

 
 
四季を通じて、町民の娯楽と景観深勝地として人気がゆきわたった蛇の鼻。
数多くの出張料理店が観光面でも一役を担い、料金、その他の問題を含めて、町内料理店の強調と統一が必要となり、同業者有志が集結し、明治41年2月「本宮料理店飲食業組合」が発足しました。
 
 

大正3年(1914年)
本宮四業組合の創立

 
 
現在の本宮二業組合の前進と思われる「本宮四業組合」が創立されたのが、大正3年。第一次世界大戦の渦中で、飲食業の形態が移り変わる中で、「料理業」「旅館業」に加え、新たな商売の「芸妓置屋」と「貸座敷業」を含めての組合づくりで「四業」という文字が出てきたものと推察できます。
 

昭和20年(1945年)頃
本宮二業組合への転換

 
古くから花の本宮とうたわれ続けて、その名残りをかすかに伝えてきた、通称新地の遊郭は第二次世界大戦に入ると共に姿を消し、組合運営にも改革の必要性が生じてきました。
「貸座敷業」「芸妓置屋」「料理業」「旅館業」の四業より、「料理」と「旅館」の二業とし、名称も本宮二業組合としたものと思われます。 

戦後の本宮の観光を支え
現在、そして未来へと。

 
 
 

戦後、飲食、旅館業の発展のみならず、本宮町の観光、発展に精力的に携わり、 本宮夏祭り恒例の盆踊りなどもかつては本宮二業組合が主宰しておりました。
そして現在、本宮二業組合は市内52店舗の組合員が加盟しており、 お客様に安心のサービスを提供しております。